*私の離婚ヒストリー*
私の離婚ヒストリー
■二度の離婚■
最初のだんなさんとは、娘が3歳のときに別れました。pirorinがまだ20代のころでした。理由は高収入にもかかわらず、給与明細をみせず、家計を管理し、競馬パチンコをやり、生活費を数万しかくれないこと・・・・でした。普段のたわいもないような会話もなくて・・・話し合って解決などできない状況でした。そのころはまだ20代で、きっとこれからやり直して、幸せになるんだ・・・!それまで頑張るんだ、と希望がどこかにあったんです。そしてまだ娘もちいさくて、心細かったです。
そしてそれから10年近くが経ち、ことし再婚生活を清算し、また地元へ戻ってきました。
ここ数年、別の地域で暮らしてきました。お互い再婚同士、うまくやっていけると思い、娘が小学校へあがるときに転居しました。
が、幸せに暮らしました。おしまい。というわけにはいきませんでした。
相手の方には先妻に学生の子どもがいて、そちらへ養育費、学費を支払っているのは承知のうえでしたし、むしろpirorinも応援する気持ちで、今までいた会社にパートとして働いて家計を助け、ひとりよがりかもしれないけれど一緒に頑張ってきたつもりだったんです。
ただ、だんだんと彼がお金がないことに疲れてきたのか、pirorinやpirorinの娘にあたってくるようになりました。
それ以前に、pirorinにもいたらないことがいろいろあったのだと思います。文句を言わないように、心がけていたのがかえっていらつかせるというか、そんな感じだったのかなぁ。
もともと感情の幅のひろいタイプな人ではあったのですが、突然キレだしてすごんだり、娘を正座させ、延々とどなりつづけたり(いまだにはっきりした理由が不明)、まだ仔犬だった犬が悲鳴を上げるほど殴ったり、pirorinが体調を崩すと発狂したり、夜中に壁を殴ったり・・・今、冷静に思い返すとほんとに怖かったです。
ただ、娘が小さいときの暮らしを共にすごし、多少なりとも支えてくれたことを、自分としては感謝したい、と思っています。
もとの土地へ戻ろう、と決心したころは、ひっそりと犬をかばって暮らすようになってしまった娘を、やはり自分がしっかりして、守って暮らしていかなければと強く思っていました。
このままあと10年暮らし続けたら、娘に申し訳ない・・・と。そのとき今よりも悔やむだろうと。
最初、明るくてやさしいひとだと思っていたし、たくさんの、これなら・・・と思える心強い言葉をかけてくれたひとでした。なので、住み慣れた土地を勇気をもって離れたわけですが、このような結果になってしまいました。再婚した当時自分は、幼い娘と二人で生きていくことに、弱気になり、疲れてしまっていたのかもしれません。前向きに生きていこうとは、当時とても思えない自分だったのかもしれません。
忙しい日常の中、ふと、この10余年の意味や、今は縁の切れてしまった、自分や娘をによくしてくださった人たちへ何もお返しできなかったこととか、自分はどこか欠けている人間なんだろうか・・・とか、ぐるぐるといろんな思いがよぎって、苦しいな・・・と感じる時もあります。
自分の選んだことで、このような結果になったことを、自分自身は自分のせいだと納得できますが、やはり娘には、本当に申し訳ないです。やはり母は強く、しっかりしないといけないですね。
ひとり親家庭でも、親がしっかり子どもを守っていれば、不幸なんてことはないですよね!
今は二人と犬で、平和に暮らしています。また、いまは娘もすっかり明るくなり、のびのびと暮らしています。
こうやって自分で自活して暮らしていかれれば、とにかくHAPPYと思っています。
ずっとたよりないしんぐるままでしたが、今は自分がおかあさんであり、おとうさんでもあると思っています。